レビュー
※モバイルサイトは抜粋
関係は変化するもの、存在は失われるもの。そんな予感の鏤められた作者の第二歌集である。(…)歌集全体から都市を漂流する魂のような存在が浮かび上がる。(…)夜を着こなすとは、日々の暮らしに馴化することなくそのあてどなさを引き受けることなのかもしれない。
ずっとやさしくて、いつかのことがさみしくて、ちょっとくるしくて。そのような歌集だ。生活のきしみのようなものも、ざらざらとした質感をともなって混ざるけれども、破綻を迎えることはない。日々は、淡々と続いていく。日常が、目に見えて、決定的に壊れてしまう、凄まじい出来事なんて、訪れることはあまりない。ただ、不穏な影は、目の前を、ふと、通りすぎていく。
結句を語る言葉は様々だが山階作品のそれはむしろ、終わらないこと、続いていくこと、生きることが全て割り切れるものばかりではないことを、丁寧に、余分な力をかけずに、そっと何ものかに差し出しているかのようだ。(…)山階作品に見られる結句の魅力に、短歌形式の可能性が、実は未開のままに残されているのではないかということにも、ある慄きとともに気付かされてしまうのだ。
目黒哲朗
山階基の歌には手触りがある。本人の暮らしが具体的に、例えばどんな仕事をしてどこに住み、どんな恋をしているかなどが描かれているわけではなく、日々の中で視界に入ったもの、触れたものたちが詩として立ち上げられて生まれる、言葉が喜んでいるような手触りだ。
歌を通して心情や場面を描くという点で、歌集はミュージカルと似ている。だが本作の歌は舞台上で朗々と歌いあげられる歌ではなく、日々の生活のなかで思わず口から漏れてしまう歌だ。それを鼻歌と呼ぶならささやかだが、生きて、暮らしてゆく場と密接に関わっているからこそ切実でもある。
『風にあたる』において、〈私〉は〈世界〉を要約しない。人や物や動物や、雨や風までも、いまそこにあるかけがえのないものとして尊ぶ。そして、この歌集においては、〈私〉ではなく、〈私〉と〈なにか〉との〈関係〉こそが主人公なのではないか。
一つの命のあり方をかなり正確に反映しているのではないか。それも、今まで短歌ではなかなか表現しがたかった(…)今の社会における一人の人間の生き方みたいなものをかなり正確にトレースしているんじゃないかなと思いました。
興味深いのは、「わたし」が唯一うまく吐き出せるものが「くちぶえ」である、という点です(ため息ではないのです)。仄昏い感応を湛えながらも、言葉は寧ろほのぼのとした明るさで溢れていることに気が付くでしょう。
あまり無理や気負いのない口語の文体で人との関係性とか愛情の機微の微妙なところをすくいとるのがうまい作者だな、と思って読みました。(…)詩としての短歌を作る力もある作者だと思います。
平易な言葉で淡々と歌が紡がれていく。日常のなかの小物が効いている歌が多いが、一見なんのことを言っているのかわからないままの歌も魅力的だった。星占いのような。
「コーポみさき」の一連は、読めば読むほど、語の選択や漢字仮名の表記など、隅々まで神経が行き届き、血が通っていることに気づかされる。丁寧すぎることが欠点かもしれない、と言いたくなるほどだ。
それが細部であればあるほど、美しさを孕んでくる、卑近なものであるほど、神聖なものに変容してゆく。そこに現出するさまざまなモノはひかりを孕み、唯一無二なものに変容している。
『風にあたる』は、写生のように丁寧に記される生活の歌と、作者の繊細な視点から立ち現れる気づきの歌とが同居する一冊だ。(…)「ありのまま書く」技術において山階は(…)頭一つ抜きん出ていると言っていいだろう。
歌についてじっと考える時間を、すこしずつでも作っておきたいなあと思う。そういうときに、山階さんの歌はぴったりなように思う。一首一首の圧力は控えられているのに、こちらにはたらきかけてくるものがたくさんある。
山階の歌には力が入っていない。衒いがない。時に吹けば飛ぶような身軽さで、飄々としているような、それでいて実直な生活の場面を歌うことに長けている。ときどきは斜に構えるが、その構え方すら素直でいとおしい。
山階作品でひらがなを見かけると、食欲が戻ってくる感じがする。「かやくごはん」「さばのみりん漬け」「なめこ汁」みたいだ。それは同時に、欲を失っていた自分へ驚く体験でもある。〈焼き芋〉ではなく「焼きいも」なことに、分かってるなぁ、となる。
山階の歌は、語の構成や修辞において印象の淡さや曖昧さを引き寄せるようなところがあり、しかしその淡さをテコにしながら、対象への心寄せの強度をもって詩情や寓意を読者に手渡すようなところがあるように僕は思う。
異性が暮らすイコール結婚、みたいな社会的な型とか、新人賞選考で作者の「性別当て」をするような視線にやわらかく異議申し立てはしてるんですが、異議申し立てが本筋ではない感じで。ジェンダーやセクシュアリティの色眼鏡をいったん外して、すっぴんの生活や関係性を見つめようとしている。
『風にあたる』を読むと、おかゆが思い浮かびます。まっしろでシンプルな、弱ったときに食べたい、さみしいくらい優しい食べもの。
あなたにすすめたい歌集
ごく限られた人間関係における希望や幸福の点描は、そうした状況の反動とも言えようか。山階基は「生活」の皮膚感覚を再現する名手だ。
寺井龍哉
時代の危機、生活の些事
『歌壇』2018年6月号
カードをかざして改札を抜ける時の光景。光の文字とは改札口の表示板に表示される残額の数字である。新世代の抒情だなあと感じる。
『風にあたる』という歌集は、文体と内容がリンクしどちらもゆるやかな結び目がやわらかくほどけてゆくようなしなやかさを持ちながら、周囲から求められる暗黙の了解に対しても合気道のように柔能く剛を制すのです。
装幀の必要事項は巾(はば)広の帯にまかせ、表紙を装画に託した潔いデザイン。説明から解かれた画の小気味好(よ)さ。
嗜好品の代わりとなって私を癒やしてくれたのが、山階基さんの歌集『風にあたる』。一首ごとに朴訥とした暮らしとロマンスが頭に広がる、その充足感はフォーク・ソングの名盤を聴いたときの感覚に似ています。